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HTML版/広報誌さくら

●茨城が生んだ先人たち NO.16 岡倉天心
●タウンウォッチング 北茨城
●オシャレのお手伝い「移動美容室・楓」
●さくらインフォメーション

 神立小学校のお友達「デイケア」訪問
 地元都和中学校の生徒さん「職場体験」実施
 


●茨城が生んだ先人たち NO.16
 近代美術のパイオニア 岡倉天心

 岡倉天心、本名岡倉覚三は貿易商の次男として文久2年(1862)、横浜に生まれた。父親の覚右衛門は元福井藩士で、石川屋という貿易商を営なんでいた。当時、横浜は外国人向け商店街の中心地であり、子供の頃から英語が飛び交う環境の中で育った。天心は七歳で英語を習い始めた。最初はジェイムズ・バラの英語塾に、やがて英学塾高島学校に通 った。8歳で母親「この」が亡くなり、翌年、父が再婚すると、天心は「この」の菩提寺であった神奈川の長延寺に預けられ、住職玄導和尚から「論語」「孟子」など漢学を学びつつ、高島学校にも通 った。当時の日本人は、四書五経などの漢籍の素読から勉強し始めるのが一般 的であったが、天心はいきなり外国人による耳からの英語教育を受けたことになる。天心の英語は、会話にとどまらず、英語で何不自由なく書き、考えることができたといわれる。生前に出版した書籍はいずれも英文によるものであった。
   

 明治8年(1875)13歳で東京開成学校に入学、明治10年の学制改革により、東京大学と改称され、天心は文学部の2年生に転入する。得意の英語を生かして英文学教室に親しんだ。天心は英米の小説を乱読、ヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」を高く評価し、エドガー・アラン・ポーに心酔した。明治11年、アメリカからアーネスト・フェノロサがお雇い外国人として東京大学に招かれ来日する。当時、弱冠二十五歳、政治学・理財学・哲学を担当し、天心に大きな影響を与えることになる。
 フェノロサは、生来美術に興味があったのだろう。来日前にフィラデルフィアで開催された米国建国百年記念博覧会では、連日会場内の美術館に足を運び、絵画の描法、色調について詳細にノートを取り「今後は美術の研究に努める」と記したという。
 ハーバード大学を主席で卒業し、東大の教授として来日したフェノロサは日本画を見て驚嘆した。花鳥画の細密な画法と、山水画の神秘性に心を奪われて、大学付近の美術商を軒並み歩くこととなる。その際に、通 訳として天心を伴ったことから、天心も次第に美術に関心を持つようになった。当初は偽物を随分と買わされたようで、心配した有志から、名家の蔵品を見る機会を与えられて「審美眼」を磨いた。

 明治13年、東京大学を第1期生として卒業した天心は、文部省に入省し音楽取調掛に配属され御用掛に任命された。月給は45円。当時の小学校の教員の月給が七、8円であったことや、彼の満十七歳という年齢を考えると、破格の待遇だった。上司との折り合いが悪かったため、一年後には内記課勤務となり、主に美術関係を担当することになった。明治16年以降、九鬼周一文部少輔やフェノロサと共に、京阪地方の古美術の調査にあたることになる。
 明治17年6月、文部省より近畿地区の古社寺調査を命じられ、フェノロサらと調査を行い、法隆寺の夢殿を開いて秘仏と呼ばれていた救世観音を見いだした。法隆寺の僧侶は「これを開ければ必ず雷鳴が起こる」と言って開帳に反対した。明治初年、神仏分離が叫ばれた頃に一度開けようとして雷鳴が鳴り響き、人々が恐れて途中でやめたという出来事があったからである。天心が雷のことは我々が引き受けるからと説得して堂を開け始めると、僧侶達は恐れて逃げ出した。蜘蛛の糸を払い、像を包んでいた布や経切などを取り除くと、「彩 色判然」とした「上頬高く下頬落」ち「頭部・四肢大に、身辺の溝筋深」い観音像が現れた。天心はこの時の感動を、「一生の最快事」であったと記している。
 明治十九年秋、美術取調委員としてフェノロサとともに九ケ月にわたり欧州へ出張となる。イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、スペインなどを巡り、アメリカ経由で帰国するが、その間、和服で過ごしたと言われている。のち、息子の一雄に「流ちょうな英語を身に付けたら和服にしなさい。ブロークンな英語しかしゃべれなければ、洋服にした方がよい」とアドバイスしたという話しが伝わっている。
 

 明治22年、東京美術学校(後の東京芸術大学)が開講する。教授陣には橋本雅邦、高村光雲らがいた。明治23年わずか28歳の若さで同行二代目の校長となった天心は、近代国家にふさわしい新しい絵画の創造をめざした。校長時代の天心は、生徒に古画の線描模写 を徹底させて、基本を叩き込んだ。
 急進的な日本画改革を進めようとする天心の姿勢は、伝統絵画に固執する人々から強い反感を受けることになる。いわゆる東京美術学校騒動により明治31年校長の職を退いた天心は、その半年後彼に付き従った橋本雅邦をはじめとする26名の同志とともに日本美術院を創設した。横山大観、下村観山、菱田春草らの美術院の青年作家たちは、天心の理想を受け継ぎ、広く世界に目を向けながら、それまでの日本の伝統絵画に西洋画の長所を取り入れた新しい日本画の創造を目指した。
 
 明治36年茨城県北茨城出身の日本画家飛田周山の案内により五浦を訪れた天心は、太平洋を望む人里離れた景勝地を気に入り、土地と家屋を買い求めた。六角堂と邸宅を新築、拡張するなど、以後五浦を本拠地とした。
 明治37年、天心は米国ボストン美術館の中国・日本部顧問に就任した。これより先、天心が大観、春草を伴って渡米した時の美術館の収納品は日本画三千六百点、蒔絵類五百点、金箔工芸品2,000点、浮世絵20,000点という多数にのぼった。その中には「平治物語絵図」、長谷川等伯の「猿侯の屏風」など、国宝級として有名なものも数多くあった。その多くは未整理のままであったため、整理分類を一手に任された。天心は整理・解説のために下段に後日、書き込まれるよう空白を作った独自のカタログを作ったが、このスタイルは今日では世界の美術館・博物館で使われている。
 明治39年、天心は日本美術院の再建を図り、美術院の第一部(絵画)を五浦に移転した。天心はここを「東洋のバルビゾン」と称して新しい日本画の創造を目指し、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山を呼び寄せた。生活上の苦境に耐えながらも大観ら五浦の作家達は、それまで不評を買った「朦朧体」に改良を加え、明治40年に発足した文部省主催の展覧会(文展)に、近代日本画史に残る名作を発表していった。
 

 五浦での天心は、日々釣りや読書をする一方、六角堂で思索をするなど、空と海を眺め大自然と一体となる隠棲といえる生活を送る。晩年の天心は漢詩や書簡の末尾にしばしば「五浦生」「五浦老人」「五浦釣人」などの号を用いており、五浦に対する深い愛着をうかがうことができる。
 晩年の天心は、ボストン美術館において中国、インド、日本での美術品収集を精力的に行うほか、日本や東洋の美術を欧米に紹介する著作や講演の仕事をこなした。大正二年体調がすぐれずアメリカから帰国した天心は、一旦五浦に戻った後、静養のため新潟県赤倉に移ったが、病状が悪化し9月2日、51歳の生涯を閉じた。東京染井墓地に葬られるとともに、五浦にも分骨された。
   

●タウンウォッチング 北茨城(一部掲載)
 その名の通り県の北端にある北茨城市は、漁業が盛んで、県内で最も多くの温泉が湧く。海岸部には五浦海岸が広がり、六角堂や茨城県天心記念五浦美術館が立つ。その南には、詩人・野口雨情の出身地でもある磯原海岸が続く。名物のアンコウが水揚げされる平潟港や五浦温泉、磯原温泉など観光ポイントが点在。山間部には花園川の渓谷があり、春のシャクナゲ、秋の紅葉と自然を満喫できる。芸術家が愛した漁業と温泉の里北茨城。
 

◆野口雨情記念館
野口雨情は、北原白秋、西条八十と並ぶ三大童謡詩人と称される。「七つの子」「赤い靴」「十五夜お月さん」など数々の童謡の傑作を残した雨情の遺品や遺墨を展示する。
電話:0293-43-4160
   

◆としまや月浜の湯
野口雨情生家の向かいに立つ宿で、館内には雨情直筆の掛け軸などが展示されている。ゆっくりと楽しめる展望大浴場や露天風呂のほか、平潟港や大津港から水揚げされた新鮮な海の幸も満喫できる。
電話:0293-43-1311
   

◆茨城県天心記念五浦美術館
岡倉天心や横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山など五浦ゆかりの作家の業績を紹介したり、日本画の名作を展覧している。企画展では日本画を中心にさまざまな作品を展示。併設のショップでポストカードを販売している。
電話:0293-46-5311
   

◆そば道場
初めての人でも気軽にそばの手打ちが体験できる。国内でも有数の「常陸秋そば」を石臼挽きしたそば粉に、天然の山芋をつなぎにした腰の強い手打ちそばができる。
そば打ち体験(4人分、2940円、要予約)
電話:0293-42-3306
   

◆ガラス工房シリカ
北茨城市内を一望できる茜平にある、童謡の森ふれあいパーク内にある施設。専門スタッフが親切に指導してくれるので、初心者でもコップやマドラーなどオリジナル作品が作れる。(要予約)
電話:0293-42-3550
   

●高齢者や障害者のおしゃれのお手伝い
  「移動美容室・楓」

 老人福祉施設や障害者施設に入所されている方は、髪のおしゃれをしたくても美容室に行くのが困難な状態にあります。そこで県内では初めて移動美容室を始めた「移動美容室・楓」を取材しました。
 代表の山本恵子さんは高校卒業後、美容室に勤めながら美容師の資格を取得し、約八年間美容師として働いた。その後、妊娠中に入院したことがきっかけで介護の仕事に興味を持ち、介護老人保健施設さくらに就職し、介護福祉士の資格を取得。
 介護の仕事をする中で、施設を利用するお年寄りから「美容室に行きたいけどなかなか行けない」という声を多く聞くようになり、インターネットで調べて「NPO法人全国移動福祉理美容車協議会」の存在を知った。さっそく協議会に入会し車を注文。社内は通 常の店舗と同じようにシャンプー台や大きな鏡が設置され、電動リフトでの乗降が可能で車イスのままでも髪の手入れができる。
 今回は「ケアセンターにいはり」に訪問。車内では演歌の曲が流れる中、お客さんと楽しい会話をしながらも、てきぱきとカットやパーマ、顔剃りと作業が進みます。大きな鏡には利用者のサッパリとして満足した顔が映っていました。

■お問い合わせは 電話029ー822ー3368
NPO法人 全国移動福祉理美容車協議会茨城支部
「移動美容室・楓」

   


●さくらインフォメーション
◆神立小学校のお友達
 ケアセンター元気館「デイケア」訪問
すぐお隣の神立小5年2組9人の生徒さんが「総合学習」の一貫としてデイケアを訪れ、「よさこいソーラン節」や楽しい「マジック」など披露してくれました。
   
利用者と輪になっての魚釣りゲーム  
揃いの半被を着てよさこいソーラン踊り 揃いの半被を着てよさこいソーラン踊り
大人顔負けのトランプを使ったマジックショー 大人顔負けのトランプを使ったマジックショー


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